インタビュー interview

【りゅう】“生涯勉強”を貫くプログラマー経営者。最新技術を学び、東京と同等価値を提供する

スマートフォンアプリ・ゲームや業務システムの開発を行っている株式会社りゅうは、沖縄県出身の代表が東京からUターンして立ち上げた会社です。都心と同等の価格で開発業務を請け負い、最新技術の導入にも積極的で、アジア進出も視野に入れています。代表の上原昌樹さんに、沖縄で起業した理由や自社の魅力、将来プランなどを聞きました。

株式会社りゅう 代表取締役

上原昌樹さん

沖縄県うるま市出身。琉球大学卒業後、県内のIT関連企業に入社。その後、東京を拠点に派遣、フリーランスのプログラマーとして10年以上、業務系システムやスマートフォンアプリの開発実績を積む。2011年7月にUターンし、起業。2015年に現会社を設立し、スマホアプリ・ゲームや業務システムの開発を手がける。両親が住むうるま市で、沖縄出身の妻と2人暮らし。

沖縄へUターンした経緯について

東京で10年。沖縄でも同じ仕事ができる

沖縄でも東京と変わらず、同じ仕事ができるんじゃないか。そう思い立ったのが、Uターンを決めたきっかけです。

そもそも、大学卒業後に入社したのは、業務システム開発などを手がける県内のIT系企業でした。ただ、開発要員としてクライアントワークで沖縄と東京を行き来する生活が続き、次第に東京に滞在する時間が増えてきたんです。当時は沖縄と東京とでは給与格差が大きかったこともあり、いっそのこと東京を拠点にする手もあるんじゃないか。そう考えるようになりました。

沖縄の会社を辞めてからは東京で10年以上、派遣やフリーランスのプログラマーとして生計を立ててきました。最初は業務システム開発が中心でしたが、次第にスマホアプリの開発をメインに手がけるようになりました。2009年にiPhoneの3GSが発売されて以降、アプリ開発の市場が一気に広がったからです。

当時の取引先からアプリ開発について相談を受け、技術担当として市場調査の段階から事業立ち上げを経験しました。その後携わった数あるアプリ開発の中でも、人気キャラクター「ハローキティ」とコラボした女性向けのヘルスケア系アプリは、当時話題となり好調な売れ行きを記録しました。

アプリの場合は、業務システムとは異なり数人程度の少人数でも開発可能です。それなら、沖縄でも同じように開発できると思ったんです。そうやって検討している時期に東日本大震災が発生し、Uターンに踏ん切りをつけました。

現在の会社・事業について

事業パートナーと出会い、りゅうを設立

りゅうの前身となる会社を立ち上げたのは、2011年7月です。数人の仲間と一緒に、スマホアプリや業務システムの開発業務をスタートさせました。

現在のりゅうは、取締役の川上(司)との出会いを契機に生まれました。川上は沖縄でゲームアプリ開発の会社を経営しており、IT関連企業が所属する一般社団法人沖縄ゲーム企業コンソーシアムを介して知り合って以降、彼らの開発業務をサポートしたりしました。その後川上を取締役に迎え、新たにゲームアプリの開発も手がける企業(りゅう)として新たなスタートを切ったわけです。

「最新技術・同等価格・アジア進出」の3つのカギ

私と川上を含めて13人いるメンバーのうち、大半が沖縄出身のエンジニアの技術集団です。営業やマネジメントは主に私が沖縄を、川上が東京をカバーするようなかたちの分業体制を敷いています。沖縄での開発業務は、スマホのゲームアプリと業務系のアプリ・システムの二本柱です。ゲームアプリでは最近、サンリオのキャラクター「ぐでたま」を使ったアクションゲーム「ぐでたま 世界なんてどーでもいいわー」をリリースしました。一方、業務系では近年、タブレット端末やスマホで使える社内システムのアプリ開発案件が多いですね。

新しい技術も積極的に取り入れています。例えば、最近のアプリ開発では主流になっている「ハイブリッドアプリ」の制作もその1つです。最近はiOSとAndroidをどちらも出したいという依頼がほとんどなのですが、両方のアプリを1つのソースコードでつくる開発手法です。このように最新技術をどんどん試すことは、コストカットの面でも重要です。プログラムを書く量や時間を削減できるなどのメリットがあるからです。

東京から沖縄に戻るにあたっては、”安価な発注先”と受け取られるリスクがあることをある程度覚悟していました。会社立ち上げ当初こそそうした要望はありましたが、今はほとんどなく、東京とほぼ変わらない価格相場で受注しています。依頼された仕事を地道にこなしているうちに、私たちの仕事の価値を正当に評価してもらえるようになり、対等な信頼関係を築けるようになりました。

アプリ開発に関して今後、国内だけでなくアジアへの展開も視野に入れています。沖縄は地理的にも近く、県もアジア進出について手厚いサポートを用意してくれています。うまく活用しながら、近い将来に実現させたいですね。

職場環境や社員育成について

”日々勉強”に集中できる場所。英会話教室も

職場の雰囲気は、エンジニアが多いこともあって業務中は静かに集中してますね。私もプログラマーとして開発の最前線に長くいましたが、やはりこの職種は”日々勉強”のような側面があるので、スタッフが集中して学べる環境づくりは意識していますね。将来的なアジア進出も見据え、ネイティブ講師による英会話教室を週1回開催するなど、社員は楽しみながら学んでいると思います。幸い、社内のエンジニアやプログラマーは優秀な人材を採用することができていますしね。

また、私自身は国際電子ビジネス専門学校(那覇市)でアプリ制作に関する講師も任されており、県全体のIT人材の育成にも積極的に関わっていきたいですね。

沖縄へUターンして

1人ではできないことも、会社なら乗り越えられる

ずっと県内で生活していたら、起業するなんて発想はきっと湧いてこなかったと思います。一度東京に出て、いろんな人に出会い、刺激を受けながら仕事をしているうちに「自分でもやってみよう」という気持ちになれたからです。

沖縄に帰ってきてからも、そうした「人」との出会いには恵まれました。県内IT企業の経営者や技術者、クリエイターたちと知り合う機会が多く、東京などからIターンしてきた人も珍しくありません。そうした意欲的な人たちが活躍している場所は魅力的で、居心地がいいですよ。

確かに、会社を立ち上げた当初は決算など開発業務以外の不慣れな作業が多く、大変な思いもしました。ただ、1人や少人数では「これ以上できない」と頭打ちになるようなことも、会社だからこそ乗り越え、実現できる。そういう手応えを強く感じています。ゲームアプリ「ぐでたま 世界なんてどーでもいいわー」は、まさにスタッフをはじめとする周囲の協力・技術を持ち寄ることで完成させることができました。いろんなことにチャレンジできることが、会社や組織の醍醐味の1つだと思います。

実家近くで暮らし、両親を安心させられた

一方、生活面では、両親を安心させられたことが大きいですね。幸い2人とも健康ですが、高齢でもあります。私は長男ということもありましたし、今はうるま市にある実家の近くに家を借りて、妻と2人で暮らしています。妻も沖縄出身なので、同様に両親や親族の近くにいられることは、非常によかったと思います。

うるま市の自宅から那覇市のオフィスまでは、車通勤で1時間ほどかかります。東京時代と時間こそ変わりませんが、満員電車に乗らずに済むのは楽ですね。沖縄自動車道をはじめ、以前生活していた頃に比べれば交通インフラは随分と整備され、渋滞も減りました。住環境は、どんどんよくなっていますね。

沖縄へのUIターンや、りゅうへの入社を考えている人へ

最後に、UIターン転職を考えている人へメッセージをお願いします

プログラマーなどのITの専門職は、県内でも高収入の業種です。しかも、現在は東京や大阪と比べても遜色ない仕事ができる環境にもあります。せっかく沖縄に行くなら、「ただ働く」のではなく、「新しい仕事にチャレンジしたい」「楽しい生活を送りたい」などと積極的な意識を持ってもらいたいですね。私たちの会社はこれからも最新技術を追求し、新しくてユニークな事業に挑戦していきます。そういう環境で楽しく、能動的に動ける人と、ぜひ一緒に働きたいと思っています。

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